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名古屋地方裁判所 昭和43年(ワ)3335号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕原告は、本件事故が通路の設置及び保存、管理上の瑕疵に因るものであるから、国家賠償法二条により、被告国はこの事故による損害を賠償すべき義務がある、と主張する。

一、国道の状況

本件国道が、国道二一号線のバイパス道路として建設省中部地方建設局多治見工事事務所土岐出張所の監督の下に、昭和四〇年九月頃から被告会社によつて舗装工事に着手され、昭和四一年三月頃その工事が一応完成された巾員16.85メートル、上下各二車線のアスフアルト舗装道路であること、この国道は本件事故当時被告国において管理していたこと、本件事故現場付近は直線状で、人家が疎らに点在するほかは田畑に囲まれたところで、照明はなく、夜間は暗い場所であること、は当時者間に争いがない。

この争いのない事実と<証拠>を総合すれば、つぎの事実が認められる。

本件国道は、昭和四一年四月一日、一部分の供用が開始されたもので、岐阜県土岐市御幸地内において国道一九号線から分岐し、東方に向つて同県瑞浪市明世町和合地内に至り、そこで再び国道一九号線につながる国道の一部である。この国道は、同月五日の本件事故当時、概ね西半分の土岐市御幸地内の分岐点から同市大富地内の大富交差点までが未だ改良工事中で通行全く不能、同交差点から北方に伸び従前の国道二一号線に接続して同県御嵩町方面に通ずる道路が、一部未改良未舗装、一部改良済未舗装で自動車の通行できないところがあり、東端の瑞浪市明世町和合地内で再び国道一九号線につながる手前の一部に自動車の通行は可能ではあるが未舗装の箇所があつた。このように、本件国道は既に供用が開始されていた巾員16.85メートル、上下各二車線のアスファルト舗装道路とは言え、その両端及び分岐路において主要幹線道路と接続する部分が未だ完成していなかつたため、交通量は少く、地元住民が利用している程度であつた。

本件事故現場附近の状況は別紙図面のとおりで(×印が衝突地点を示す。)、平坦で直線状の路面であるが、右衝突地点から約七〇〇メートル東方へ行くと僅かに南方へカーブしている。また東方から進行してくると右衝突地点の東方約五〇〇メートルのあたりからゆるい上り勾配となつている。

本件衝突地点から東方約一七〇メートルに本件国道が南北道路と交差する十字路交差点がある。この交差点には本件事故当時信号機も横断歩道の標識等も設けられていなかつた。この交差点から西方約七七メートルの地点から西へ向つて中央分離帯(グリーンベルト)が設けられている。グリーンベルトより東方はセンターラインの標示によつて上下の車線が区分されている。グリーンベルトは、センターラインを中心として巾2.0メートル、長さ一三五メートル、周囲を高さ0.15メートル、巾0.18メートルのコンクリートブロックで囲み、中央に杭(高さ約0.7メートル)二本、横木一本で支えられた横木一(カイズカイブキ、当時高さ約1.0メートル)が三メトール間隔で四三本植えられている。このグリーンベルト東端は馬蹄型をなしており、本件事故当時にはこの東端部分を照す照明設備や反射板は設置されていなかつた。

本件事故当時には、前示十字路交差点西端から西方の上り(多治見方面行)外側車線上に、路端から巾5.0メートル、長さ36.6メートル、周囲に巾約0.5メートルの帯状の未舗装部分を含む、深さは未舗装部分のすぐ内側の農業用水路跡で約1.0メートル、浅いところで0.3―0.4メートルの長方形の窪地(別紙図面斜線部分、以下本件凹地という。)があつた。この凹地付近には建物はあるがそれが倉庫等のため道路を照すような灯火はなかつた。この凹地は、民家と農業用水路跡であるが、本件国道の改良に際し右民家の立退きが遅れ昭和四一年三月中頃となつたため、この凹地部分を除いて改良、舗装工事が進められ、本件事故当時その儘凹地として残されていたものであつた。

本件事故当時、右凹地の東側には、少くとも一個の高さ約0.7メートル、長さ約1.2メートル、「A」の字を二つ継ぎ合せた形状で、黒と黄のペンキ(黄の部分は夜光斜料)が縞模様に塗つてある危険防止用の可動式木柵(以下本件木柵という。)が、凹地の東端から約0.5メートル離れたところに置かれてあつた。

<証拠説明略>

本件事故当時、本件凹地の周辺に夜間用赤色警戒燈が設置されていたことを認めるに足る証拠はない。

本件国道においては、本件事故当時、道路交通法による法定速度(普通自動車で毎時六〇キロメートル)の定め以外には、速度制限に関する交通規制はなかつた。

なお、本件事故が発生するまで、本件凹地付近の本件国道で交通事故の起きたことはなかつた。

以上の事実が認められる。

二、瑕疵の有無について

右認定の事実によれば、本件国道は、その道路上に周囲の未舗装部分を含めて巾5.0メートル、長さ35.6メートルの窪地部分(本件凹地)を残したまま供用が開始されたのであるが、この国道は上・下各二車線の巾員16.85メートルという広い道路であり、この凹地部分を除いても上り車線はまだほぼ一車線分の余裕があり、加うるに前示の事由から交通量が未だ少く、地元住民が利用するに過ぎない程度のものであつたのであるから、交通の誘導及び危険防止の方法さえ宜しきを得れば、当時のこの道路として通常備うべき安全性は充分確保し得たものというべく、前示凹地部分を残したまま供用が開始されていたことそのことに瑕疵があるとは言えない。

また、グリーンベルトの東端に、当時その存在を示す照明設備や反射板の設けられていなかつたことは前示認定のとおりであるが、その東方約七〇〇メートルは直線状の通路であり、センターラインの標示によつて上・下の車線が区分されているのであり、この国道を西行する車輛等がこの区分に従つて、センターラインを跨いだり、東行車線内に入つたりするようなことなく、区分された西行車線内を進行してくるべきことは通常のことに属するのであるから、このことをもつて道路の設置又は管理に瑕疵があつたというべきでもない。

然しながら、前記本件凹地の存在に伴う交通の誘導及び危険防止の方法を見るに、本件において認め得られるものは、凹地の前方(東方)約0.5メートルの距離に置かれていた一個の本件木柵のみである。

そこで、この一個の木柵設置によつて本件国道の通常有すべき安全性が確保されていたかどうかを考えてみるに、この国道が供用を開始されてから未だ間もなく、主要幹線道路に接続する両端及び分岐路が、工事中で通行不能ないしは未舗装のため交通量は少く、地元住民が利用しているに過ぎないこと、本件木柵には黄色の縞部分に夜光塗料が塗られていたことは前示認定のとおりであるが、国道として一旦供用が開始されれば昭和四一年四月の当時において昼間及び夜間を問わずこの国道を自動車等が通行するのであろうことは当然予想さるべきこと、この国道は本件凹地から東方約七〇〇メートルに亘つて直線状の完全アスファルト舗装であり道交法に定める法定速度以外の速度制限はなされていなかつたのであるから、ここを通行する自動車が時速六〇キロメートル程度の速度で進行してくるであろうことも通常予想され得ること、時速六〇キロメートルで進行する自動車がハンドルを切つた場合に横すべりを起さない限界回転半径、前方に障害物を認めて急制動する場合の制動可能距離、自動車の前照灯による障害物確認距離は一〇〇メートル(道路運送車輛の保安基準三二条)であるが対向車と行違うため滅光又は下目にしたとき(道交法五二条二項)のそれは三〇メートルであり、これ等の距離は降雨の際にはさらに大巾に短縮されるであろうこと、本件凹地は西行車線中の外側車線の巾一杯に広がつているのであつて、この車線を進行してきた車輛等がここを通過するには完全に内側車線へ移るようハンドルを切らなければならないこと、本件凹地の東方には路面の白線ないしはその他の方法による事前の誘導方法は講じられていないこと、本件木柵は巾(長さ)約1.2メートル、高さ約0.7メートル程度のもので、加うるに東方から進行してくる自動車にとつては幾かではあるが上り勾配があるため発見がさほど容易とはいえないことを考え合わせれば、これだけではこの道路が通常有すべき安全性を備えていたものとは言い難い。道路管理者の被告としては、少くとも三個程度の赤色夜間警戒灯又はこれに代り得る程度の危険防止、交通誘導の方法を設置しておくべきであつたのであり、道路管理に瑕疵があつたという原告の主張は首肯できる。

三、因果関係について

原告は、本件事故が前示道路管理の瑕疵に因るものである、と主張する。

よつて按ずるに、<証拠>によれば、つぎの事実が認められる。

訴外佐藤忠雄は、昭和四一年四月五日午後九時頃印刷業の仕事を終り、同九時一〇分頃土岐市定林寺宮前町所在アパート内の上田某宅まで名刺を届けるべく、普通乗用自動車(昭和四〇年九月頃新車で購入した日野コンテッサ、リヤ式エンジン、尚走行距離約六、〇〇〇キロメートル、訴外山田亀一が助手席に同乗)を運転して同市泉町久尻所在の自宅(兼事業場)を出発した。月令15.9のほぼ満月に近い明るい夜であつた。

名刺を上田宅へ届けてから、忠雄は同九時二〇分頃同宅を出発し、かねて国道二一号線のバイパスが定林寺地内だけ完成しよい道路になつたという噂を聞いていたので一度走つてみようと思い、従前の国道二一号線へ出てから東へ向い、約五〇〇メートル行つたところから右折して本件国道に入つた。そして西行(上り)車線(この進行位置につき、甲第一号証の二、九、乙第五号証、証人佐藤忠雄の証言には、それが上り車線の外側車線であつたというところがある。然しながら、後記判示の、その後の進行経路から考えれば、それは時速約八〇キロメートルで進行中約二〇メートル前で突嗟にハンドルを右へ切つて本件凹地を避けることができ、その後ほぼセンターラインに沿つて進行できる程度の位置の上り(西行)車線を進行していたものと認めるのが相当である。)を、時速約八〇キロメートルにまで加速して進行していたところ(その間凡その三〇〇メートル)、突然進路前方約二〇メートルの距離に本件凹地を発見し、急遽ハンドルを右へ切つてこれを避け、ほぼセンターラインに沿つて、右凹地の発見地点から約八七メートルを同一速度で進行した。ここまで来たとき、同人は前方約一〇メートルの至近距離に今度はグリーンベルトがあるのに始めて気付き、驚いてハンドルを左へ切つてこれを避けようとしたがとき既に遅く、時速約八〇キロメートルの高速で走行していた自車の右前輪タイヤ及びホイール部分がグリーベルトの縁石東南端(別紙図面点)に激突し、そのためガツンと激しいショックをうけた。この衝撃をうけてから、同人は無意識のうちにハンドルを右へ切返しつつ、狼狽と動揺のあまり前後を失い、ブレーキとアクセルを踏み間違えて約六一メートル、高速をもつて西行(上り)車線上を右へカーブを描きながら暴走、別紙図面の地点に至つてグリーンベルトの縁石に前輪を激突させてこれに乗上げ、グリーンベルト上の植木(高さ約一メートルのカイヅカイブキ)六本を、それ等を支えていた各二本の棒杭もろともなぎ倒し、それから更に対向(車行・下り)車線上を約三五メートル斜めに進行して、折柄東進して来ていた訴外渡辺輝人運転の普通乗用自動車前面に激突した。激突したのは別紙図面×の地点であり、衝突の衝撃によつて東進していた渡辺輝人運転の自動車は左斜めの後方に約二メートル押し戻されて停止し、同車に乗つていた訴外渡辺縫子は右輝人と共にその場に即死した。両車が衝突したとき、忠雄運転の自動車は後ろ向きになつており、その後部(リヤ式エンジンでエンジンの搭載されている部分)が渡辺輝人運転自動車の上に重なるように乗り上げていた。

以上の事実が認められる。

右認定の事実によれば、本件事故が、佐藤忠雄の異常なスピードの出し過ぎと前方不注視並にブレーキとアクセルを踏み間違えるという運転操作の誤りに起因することは明らかである。ブレーキとアクセルを踏み間違えることが自動車を運転走行する者として重大な過失というべきことは論を俟たない。また、普通乗用自動車を運転する者が一般の道路を時速約八〇キロメートルの高速で疾走することは法令に違反するのみならず、一般に時速八〇キロメートルで走行する場合の前方適正注視距離が三〇〇メートル以上、前照灯の障害物確認距離が一〇〇メートル、下目にした場合のそれは三〇メートルになることを考え合せれば、かかる高速度の運転が重大な過失であつたことは明らかである。その上、直線状の本件国道上で、忠雄が高さ約一メートルの植木が並んで植えられており、巾二メートル、コンクリートブロックの礎石で囲まれているグリーンベルトの存在に気付いたのはその前方約一〇メートルの至近距離に迫つてからのことであるから、自動車を運転走行する者にとつて基本的な前方注視義務を怠つていたことも明らかである。

而して、本件事故に、前示国道管理の瑕疵が原因しているかどうかを検討してみるに、この点につき原告に、「交通の安全のため十分の配慮さえされていたならば、忠雄は容易に事前に穴の存在を知り、スピードを落すなり、道路を右方の車線に変える等事前の措置を講じ、危険の発生を未然に避け得た筈である。忠雄は穴の直前二〇メートルに至つて始めて穴に気づき急ぎハンドルを右に切つたが及ばず、ハンドルをとられて中央分離帯を乗り越え、反対車線に突入した。」と主張する。

そこで、まず、忠雄運転自動車の進行経路を仔細に見るに、<証拠説明略>、忠雄は本件凹地を発見してからハンドルを右に切り、この凹地部分を無事に避けて、ほぼセンターライン沿いに進行したものと認めるのが相当である。

つぎに、忠雄の走行速度を見るに、前掲各証拠によれば同人は本件凹地を発見後もその儘同一速度の、約八〇キロメートルの時速で進行していたことが認められる。このことは、日野コンテッサという乗用自動車を運転していた忠雄が本件凹地を発見後もアクセルから足を離したり、ブレーキを踏むことなく、その儘アクセルを踏み続けていたことを推認させるに十分であつて、同人が本件凹地を発見したことにより狼狽したり、危険を感じたという形跡は存しないのである。

以上の事実と、忠雄が本件凹地を発見した地点からグリーンベルトを発見した地点までの距離が約八七メートルであること、この距離を時速約八〇キロメートルのスピードで走行するには約四秒を要するのであつて、瞬間の事象というには程遠く、同人はこの間アクセルを踏みつづけて進行していること、普通乗用自動車を時速約八〇キロメートルの高速で運転走行する者がグリーンベルトの縁石に右前輪を激突させた場合の衝撃の大きさ、並に忠雄が本件凹地を発見した地点から本件衝突事故の起つた地点までは約一九二メートルの長い距離があるのであつて、その間、さきに認定のとおり、グリーンベルトの東端に激突、狼狽・動転による暴走、ブレーキとアクセルの踏み間違いによる高速疾走、グリーンベルトの乗り越え、対向車線内の衝突の経過を経ていることを考え合わせるならば、前示道路管理の瑕疵が本件事故の原因をなしているとは到底認め難い。

本件国道管理には前示のような瑕疵があつたけれども、忠雄はハンドル操作によつて本件凹地を無事に避けて通過した。その後も依然時速約八〇キロメートルの高速でほぼセンターライン沿いに約四秒間走行後、前方注視をおろそかにしていたため、グリーンベルトの前方約一〇メートルの至近距離に至つて始めてこれに気付き、これまたハンドル操作で左に避けようとし、避け得たと思つたけれども、右前輪がグリーンベルトの縁石に衝突してしまつた。この時激しい衝撃をうけたため、忠雄は狼狽、動転の余り、前後を失い、ブレーキとアクセルを踏み間違えて暴走を起し、それから約六一メートルの距離を暴走して本件事故を惹起するに至つたものであつて、それはひとえに同人の過失(異常なスピードの出し過ぎ、前方不注視、運転操作の誤り)に原因するというべきである。

そうすれば、その余の点について判断を進めるまでもなく、被告国に対する原告の本訴請求は理由がない。

(藤井俊彦 川端浩 木下順太郎)

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